研究炉海外事情

東京大学・原子力研究総合センター 伊藤泰男

 日本原子力産業会議では平成10年から「研究炉に関する検討懇談会」を設けて、研究炉に関わる諸問題を検討し、研究炉の在り方について見直し、将来に向けた展望を国および産業界に提案する作業を進めています。この活動については、平成10年秋に行ったアンケート調査や平成11年4月に発行された中間報告書によってご存じの方が多いと思います。私はその一環として、平成11年11月に研究炉の海外調査に派遣していただく機会を得ました。

 

 調査メンバーは4人という少人数で、期間も2週間(working dayにして10日)にSaclay研究所(仏、研究炉はOrphee/Osiris)、Atominstitute(オーストラリア)、Riso国立研究所(デンマーク)、Mainz大学(独)、Halden研究所(ノルウエー)、ウィスコンシン大学、ミズーリ大学、オレゴン州立大学(以上3カ所、米)の順に8カ所を見て回るという過密スケジュールで、毎日朝から昼過ぎまで研究炉を訪問し、午後は飛行機での移動に時間を使うというパターンでした。おかげで夕食はほとんど機内食で事足りて、レストランに繰り出してグルメを楽しむなどということも少なかったのです。

 食事で思い出すのはMainzでお昼に連れていってもらったピザ専門店に”Pizza Sophia Lauren”というメニューがあるので、“どんなの?“と聞いたら向こうのプロフェッサーは“卵さ”と云ってニヤニヤ笑うのですね。面白そうなので注文してみたら、ピザの真ん中に目玉焼きが2つ乗っているだけのものでした。でも、ボリューム豊かに突き出ているSophia Laurenを連想させられておいしかった。(脱線してしまった、、、)

 

 9施設の研究炉の主要仕様を日本の研究炉と出力規模で比較すると次のように、武蔵炉・立教炉程度からJMTR相当のものまでにわたっています。これらは、世界的に一様に苦しい運営状況にある研究炉の中でも、良く生き延びて活躍しているということで、訪問先として選定したのでした。そしてこれらの研究炉について、予算、マンパワー、利用状況、規制の問題、バックエンド(使用済み燃料の処分、廃炉の問題)など、研究炉の健全な利用を支える条件について調査してきたわけです。詳細は別途正式な報告書に譲ることにして、ここでは放射化分析利用とその周辺に引き寄せて見聞記を報告します。

 

1. 教育利用

 研究用原子炉の目的の第一は云うまでもなく、核分裂とそれに関連することがら(放射線、エネルギー利用、中性子利用など)に関する教育をすることです。この教育は今でも重要で、10MWまでの研究炉ではどこでも教育に格別の努力を傾けていました。原発を持たない国(オーストリア、デンマーク)でも、研究炉は基礎科学教育のために必要なものと認識されていました。ここら辺の事情は、電力の多くを原子力に依存しようとしていながら研究炉の存在が不当に貶められている日本とは大分違うように思います。

 Wisconsin大学炉では我々の訪問と時を同じくして20名ほどの高校生の一団が現れました。コントロール室の入り口に大きなディスプレイがあって、核分裂の様子などがアニメーションで説明されていましたが、所員はこのような教育にも多大の労力と熱意を傾けているようでした。その背景には、アメリカにはエネルギー省(DOE)にReactor Sharing Program(研究炉共同利用プログラムとでも訳すものと思いますが)があって、共同利用と教育を支援していることがあるようです。日本にも文部省の「原子力施設共同利用制度」があって“共同利用研究”を支援していますが、“教育”については全く手当されていないのとは少し違います。

 更に、原子力従業員への教育・再教育のプログラム(仏国、独国、オーストリア)や、政府役人に対する教育プログラム(Atominstitute)などがあることも印象深く知りました。仏では原子力発電所のオペレータなどの原子力作業者には5年に1回再教育(refreshing education)が行われているということです。日本では、原子力発電所のオペレータの育成や教育は会社独自のシミュレーターを用いた教育によって万全であると了解している面があるのですが、日本原子力産業会議の検討懇談会ではそのことに疑問を提起しています。JCO事故の直後、茨城県の橋本知事が“原子力施設で働く人たちは大学などの研究炉で教育・訓練されているのでしょうね”と云われたとのことですが、無論そのような教育・訓練などされて いない というのが答えです。

 規制担当の政府役人に対する教育プログラムにも学ぶべきことを感じました。どこかの国のお役人は(知識と経験の不足が災いして)安全側に過剰規制することで有名ですが、社会に責任あるお役人こそしっかり教育されるべきではないでしょうか?お役人に一言云われるとペコペコしなくてはならくて、“教えて差し上げる”など思いもつかない状況を反省したいものです。

 米国では民間事業所の従業員に対する教育・再教育は行われておらず、企業内教育に委ねているところは日本に似ています。しかし今後の研究炉存立の理由付けとしても民間教育への利用は重要であるとの認識を持っているようでした。

 

2. 研究への利用

 当然のことですが、小さな研究炉では一様に放射化分析が行われています。中性子ラジオグラフィーやフィッショントラック法は行われたり行われなかったりです。これらの利用で研究炉を経済的に維持できる程ではないものの、放射化分析への期待は高まっているように見えました。 Missouri大炉 は民間の会社から移ってきたというやり手所長の方針によって全般的に営業色が強いのですが、放射化分析ががっちりと営業に組み込まれています。しかしγ線スペクトロメータはGe半導体検出器を鉛ブロックで囲い込んだままの簡単なものでした。オートサンプルチェンジャは無いのですかと聞いたら、毎夕1回試料を取り替えるルーチンなので必要ないという返事が帰ってきてビックリしましたが、それも一つの考え方かもしれません。実際オートサンプルチェンジャが無い替わりに、γ線スペクトロメータが一部屋に6台もあって全て稼働しており、学生がサンプルチェンジャーを勤めていました。ここでは近い将来ICP-MSも導入したいと云っていました。これはとても良い考え方だと思います。放射化分析で信頼性の高いデータを出す一方、放射化分析が苦手な元素についてICP-MSで補完すれば、本当の多元素分析センターとして成り立つのではないでしょうか。多元素同時分析を、それも営業としてやるならK 0 法に限ると云ったら、それはダメだと云うのでこれにもビックリ。何故だ?と聞いたら、Missouri大学炉は色々なことに使っているので、他の照射に依存して照射場のパラメータが変わるのだという説明で妙に納得し、変な言い方ですが、うらやましくも感心しました。何故なら、他の利用によって照射場が煩わされるような“贅沢な“悩みは日本では当分しないで良いでしょうから。それよりも、もっともっと研究炉を利用しないと研究炉の存立が危ういというのが正直な現実です。

 なお、大きな研究炉では中性子散乱が研究炉の意義を主張できる重要な研究課題と見なされていることも付け加えておかないと公平を欠くことになります。建設中或いはこれから建設される研究炉(独のFRM II、オーストラリアの新しい研究炉、仏国Jules Horowitz計画など)は全て大型炉ですが、そこでは中性子散乱が利用の中心とされています。

 

3. 医用・民生利用

 医用RIの製造は、それが可能なところ(約1MW以上)ではどこでも行われていて、営業上トップの実績です。シリコンドーピングも10MW以上の炉で多く行われていますが、そこでは日本の半導体産業(実際に幾つかの企業の名前が立て続けに出てきた)が上顧客だ(OSIRIS, Risoなど)との話に、“日本があなたの研究炉の活性化の役に立ててうれしいです“と下手な冗談を云ってみたけれど、内心は複雑な思いでした。Missouri大炉は色々と営業色の濃い中でも、白トパーズに速中性子を照射してブルートパーズに着色させて営業しているのは特異でした。我々も原子炉できれいなブルーになったお土産をいただいてニコニコ。シリコンドーピング、トパーズ着色いずれの場合も営業として成り立つ大きな理由は、残留放射能への規制の緩いこと(仏では40Bq/g以下持ち出し可能)にあるのでしょう。日本では、例え研究用と云えども、照射物の放射能がバックグラウンド以下にならないと外に持ち出せないのに比べると格段の違いです。欧米の合理的なものの考え方がここでも伺えるのです。

 

4. 共同利用

 どの研究炉もなんらかの形で共同利用されています。欧州の研究炉はEU内の相互乗り入れ利用が常識になっています。大学の利用は無償、企業の利用は有償というのが一般的です。日本では大学と云えどもお金を払わなくてはなりません(その代わり、文部省がお金を肩代わりして利用を支援してくれる制度があるのですが)。

 米国では既に述べたReactor Sharing Programが1975年から行われています。これは研究炉を所有しない大学が大学所属の研究炉を利用すること、或いは小型研究炉関係者がより大型の研究炉を利用することを助成するもので、文部省の「原子力施設共同利用」に似ています。Wisconsin大炉のように小さなところはこの資金に依存するところが大きく、Missouri大炉のような大きな炉ではこの資金の割合は僅かのようです。

 なお、米国にはTRTR (The National Organization of Test, Research and Training Reactors)という組織があって、政府、大学、国立研究所、民間の研究炉に横断して、教育、基礎・応用研究、民生利用、米国の国際競争力強化を目的とする活動を1976年から行っています。類似の制度は今日本にはありませんが、TRTRとReactor Sharing Programのような機能も持ち、利用と管理運営両面の支援を強化する制度として「研究炉機構」が提案されようとしています。「研究炉機構」の案を説明したら、どこでも“それは良い考えだ”と大いに評価してもらえました。

 

5.パブリックアクセプタンス(PA)

 今回訪問した研究炉は、市街地から離れているためPAが大きな問題とはならない施設(Saclay, Riso, Missouri)もありますが、市中にあるかまたは近接している施設(Atominstitute, Halden, Mainz, Wisconsin, Oregon)の方がむしろ多かったのです。特に Atominstitute は施設境界の柵のすぐ向こうに小ぎれいな個人住宅が取り囲んでいるのですが、武蔵工大炉が付近の住民から排斥を受けて10年以上運転再開出来ない状態にあることに心を痛めていたので、とてもうらやましく思いました。このような良好なPA状態にあるのは、(自慢の種のようでに見受けられた)こまめな点検保守に加えて一般人への施設開放(見学)を行うなど、市民との信頼関係が築かれていることが大きいと推察されました。 

 一方、市街地からの距離に関わりなく、どの施設でも一般の教育に開放することに積極的でした。この場合、原子力宣伝ということでなく、科学を学ぶ道具と認識して一般に伝えるという姿勢が鮮明です(unbiased educational purpose)。

 

 

6. おわりに

 ちょうどJCO事故の直後だったので、事故について根ほり葉ほり聞かれるのではないかと人からも脅かされ、JCO事故の資料を集めて準備して行きました。実際、臨界事故の話題が出なくは無かったのですが、我々から多くを聞き出そうという姿勢は感じられませんでした。遠慮していたのかもしれませんが、彼らはこの道の専門家ですから科学技術的なことは理解済みと考えるのが妥当でしょう(後で知ったことなのですが、オレゴン州立大学では我々が行った前の週にJCO事故に関するセミナーをやっていて、しかもその内容をホームページに掲載していました)。むしろ“あの事故で人は死んだの?”と、あたかも火災のような災難を思んばかってくれる問いかけに、こちらも災難の当事者が言葉少なくなるような風でした。大変馬鹿な余計な事故を起こしてくれたね、と面と向かって云われなかったのが救いでした。しかし日本の研究炉が正当にかつ大切に使われていないことを比較実感した今、あの事故は起こるべくして起こったと思いを新たにせざるを得ません。「原子力依存社会」に生きる我々は研究炉のあり方(その必要性と正しい使い方)についても、もっと真剣に考えなくてはならないと思うのです。

(2000年1月6日記)